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震災後、初のページアップです。私たち関西人はよく、「震災後」という言葉を使います。もちろんこれは阪神・淡路大震災のことです。それだけ、その後の個々人の運命に影響を与えた共通体験だったからで、東京・神奈川のご年配者には、関東大震災、新潟の皆様にも、北海道の皆様にも、それぞれの震災後があったのかも知れません。 今回の厄災は、東北・北関東の皆様の人生に、余りにも大きな爪痕を残した事でしょう。生き残られた皆様が、これから再び逞しく立ち上がられますよう、願ってやみません。 さらに言えば、○○後の最も多い使われ方としては、大戦後という言葉であった事を考えますと、昭和復興の力強さを思うことが、皆様の勇気の源になるかも知れません。 そこで、カストリ誌から始まった戦後日本の緊縛写真の一つの到達点にあった人物として、吉田久氏をご紹介致します。
08-01) 小笠原純子・吉田久-1  吉田久氏については、裏窓に寄稿されていた事ぐらいしか存じません。そして裏窓誌は、私10冊強ぐらいしか所持しておらず、考察の資料の躰をなしておりません。 また、同誌は写真を分譲しておらず、前の所有者がどのようなルートでこれら写真を入手したのかも判りません。 それで、日本緊縛写真史の記事に従って特定出来る物をお目に掛けようと存じます。 P.206と227類似の写真です。肌が粟粒立っておりますが、寒いのでしょうか? 黒バック・ローキーはオルソ時代の黒白フィルムで、日本女性が美しく撮せた手法でした。 多分60年代の撮影と思いますので、もうパンクロになっていたでしょうが、吉田氏はしっかりした作家で、正式な写真家教育を受けた人でしょうから、古い手法で新しいモデルさんを撮したんだと思います。
08-02) 小笠原純子・吉田久-2  顔が暗くなってしまったのが惜しいです。少し背筋を伸ばして顔を左に向けさせれば乳房も強調されますのに。 そうそう、印画紙はフチ付きの大手札サイズです。トップの写真を御覧下さい。 吉田が追求したのは、写真としての美であったようで、伊藤晴雨流の、おどろおどろしい情念は微塵も感じられません。ちょうど、江戸川乱歩、横溝正史流のおどろおどろした耽美を否定して、社会派と言われる推理小説が成立した事情を思わせます
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08-03) 小笠原純子・吉田久-3  これら3枚の印画は、保存状態がバラバラで、部分的にカビ状の汚れも多くあります。 特にこの写真は褪色していますので、カラーでスキャンしたものも、無修正でお目に掛けます。

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08-04) 高倉光子・吉田久 「沈黙のポーズ」  私は縛り方の巧拙は存じません。そんな経験がないからです。しかし、この吉田久というカメラマンは巧いですね。縛り云々よりも人物写真として美しいと思います。 P.203に、「昭和37年3月、吉田スタジオにて 緊縛は美濃村晃」と書いてあります。営業写真か商業写真をなさっていたのでしょうが、テクニックとしては大判よりも6×6など中判カメラに長けたかたのようです。 私個人としては、203ページに掲げられた上目遣いの写真より、この写真のほうが好きです。黒のパンティーをもう少し上手に穿かせて頂きたかったナとは思いますが・・・ スタジオ写真としては珍しく露出不足のネガのようで、プリントは黒潰れが出ておりました。そこで白飛びを恐れず、化学現像では出来なかったような、思い切った階調補正を施してお目に掛けるものです。image
08-05) 柚木あぐり・吉田久-1  P.207から柚木あぐりの写真が5枚出ております。昭和38年6月の撮影。場所は目黒雅叙園ホテルとのこと。また高級なところに伸していったものですね。 それだけの効果はあったようで、モデルさんの清純な雰囲気が良く出ています。並みのラブホテルならこうはいかなかった事でしょう。   image
08-06) 柚木あぐり・吉田久-2  多分P.207と同じロールに入っていたカットだと思います。上の写真と違って、これは大分硬くなってしまいました。
08-07) 影なぎさ・毛卓三-1  P.233に群馬県薮塚温泉の石切場で、藤見郁による演出・緊縛とあります。 裏窓への掲載は昭和37年7月号でした。

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08-08) 影なぎさ・毛卓三-2 

Authors: mrkinbakusyashin

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